株式会社ヒューマントラスト

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~帰属意識について~

気が置けない友人

昨日、テニス仲間が集まってひな祭り食事会が開かれました。メンバーの一人の自宅に集まっての食事会で、あらかじめ食べたいものをLINEで相談し、当日は鍋料理でした(3種類の鍋を食べました。)。午後3時という中途半端な時間からの食事会でしたが、鍋をつつきながら、手作りのツマミに各自が持ち込んだ様々なお酒でにぎわいました。午後7時半に終わるまでの4時間半、食べて飲んで喋って笑って、とても楽しい時間でした。
この仲間の一員であることは、本当に気持ちが和みます。仕事の付き合いは全くありませんので、妙な利害関係もありません。ですので、話題はもっぱら健康や趣味、家族などです。といっても長い付き合いも相俟って、結構際どい内容も含まれますので、本当に遠慮の必要のない仲間です。
普段の私は、家内も仕事をしていますし、娘も大学生なので、食事はほぼ独りです。別にそれが悲しい、淋しいということも、もうありませんが、こういった食事会のような場面で気持ちが和らぐことは本当にありがたいと思います。「仲間」という「帰属意識」が精神的に落ち着きを与えてくれているからでしょうね。

私は、銀行を辞めてすでに30年以上になります。銀行を辞めてからは、自分でコンサルティング会社を設立して活動していたので、基本的にフリーランスに近い形で仕事をしていました。仕事上では、独立独歩と思っていたので、帰属意識を必要とする場面はほぼありませんでした。
銀行という大きな会社組織の一員として働くのとは異なり、何をやっても話しても、全て自分の責任という環境になります。最近、ある人に言われたのですが、「あなたは、研究者や学者のような、一人で完結するような仕事が一番あっている。ビジネス界で仕事をしていくための人間付き合いはダメですね。」と。
自分としては、コンサルティングという仕事柄、人と話すこと、人と接することがメインの仕事であり、それが一番合っていると考えていたのですが、よくよく考えると、私はそもそも組織的な動き、人間関係の構築が苦手だったのかもしれないと考えるようになりました。それが、銀行を辞めた理由だったのでしょう。
ですので、不得手であるがために、かえって人間関係を壊したくないと考えるあまり、相手に対して困るような話や、お互いの立場をなくしてしまうような話を避けてきた面があったと思います。こんな風に自分の立ち位置を再認識するようになりました。独立独歩で仕事をしているつもりでも、実は、その陰で、私の知らないうちに私を支えてくれている人がいるということも再認識しています。
たとえ組織とは言えないほどの小さな集団でも、やはり人は独りで生きていけないと痛感しています。自分の長所や短所は、なかなか自覚的に意識できるもではありません。周囲で見ている人が客観的に判断して人の評価は決まるものでしょう。その意味では、遠慮なく会話のできる仲間は本当に重要だと感じます。自らの尺度を修正することにもつながりますし、自身の行動様式を改善するきっかけになります。

社会性

「帰属意識」の話に戻しましょう。
人はそもそも集団生活型で社会性のある生き物です。ですので、どんな人にもDNA的に集団行動を取る性質があると思います。もちろん個人差はあると思いますが、基本的に人間は独りで全てを完結できる生き物ではないはずです。学者や研究者のような独立独歩で活動する人でも、日常生活を支える人がいますし、研究をサポートする人も必要です。ノーベル賞の授賞式典パーティーに奥様を同伴するのは、まさに一人の業績がその人独りで達成できるものではないことの証明なのだと思います。
一人のそばに一人がいて、それが家族、仲間になり、目的に向かうために集団が大きくなって組織になっていく、これが人間社会の構造だと考えてもいいでしょう。
個人が、家族になり、仲間になり、集団になり、民族になり、社会になり、国家になっていくのかなと思います。
そのそれぞれの集団の中では、先日話したような「協調」も必要な場面もありますし、個々人一人一人の「責任感」が推進力になることもあります。
人間の集団活動には、メンバーが自我を殺して「協調」することと、メンバーが自身の能力を発揮して「責任」を取ることの2つの両極の場面があると思います。
一般的に「自由」と「責任」という形で対比することが多くありますが、これは個人をベースに考察した場合のいわゆる「自然人=自我の人」を対象とした考え方です。人間が集団活動を生きる生き物であることから、家族や仲間、組織を含む集団を念頭においた場合、集団の中では、自我を抑えた「協調」は前提条件になります。一方の「責任」は、集団の目的達成というフレームの中で語られますので、集団の中では、「協調」と「責任」が対比状態にあると思います。
ちょっとごちゃごちゃした言い回しになりましたが、要するに、「皆で集団を作って、一つの目標を達成しようとするときは、集団を維持するために「協調」が必要であり、目標を達成するために各人の能力に合わせた「責任感」も重要だ」ということです。

会社組織=集団

ここからは会社組織=集団を前提に、注意すべき点を話していきます。
まず、最初に、「集団の維持が目標ではない」ということです。ただただ集団を維持するだけでは、なにも達成できませんし、満足も得られないでしょう。ですので、収益という目標を達成できない会社組織は意味がないばかりでなく、崩壊します。
次に、組織が目標に向かって動いているときは、個々人の責任が明確で、確実にかみ合っている状態であるということです。「集団がまるで一つの生き物のように活動している状態」です。
この二つの点をキチンと認識すると、会社=集団のメンバーには「帰属意識」が組織の接着剤として必要だと理解できるのではないでしょうか?一つの生き物のように集団を維持するということは、「自分は集団の足として支えよう」「自分は集団の目になって情報収集しよう」「自分は頭脳として集団のために判断しよう」「自分は集団の口となって社会に発信しよう」などと各人が自身の能力に合わせて組織体を構成しなくてはいけません。会社でいうと営業、開発、生産、企画、広報などの各部署ということです。その機能的な各部分が、一つの目標に向かっていくためには、各部署がバラバラに動くわけにはいかないはずです。そこには全てのメンバーが共有するべきメンタリティーが必要です。それが「帰属意識」だと私は考えています。
会社のマークやロゴを作ったり、社訓を覚えたり、バッジや制服を統一したり、そんなことも会社の帰属意識の醸成には有効だと言われてきたのは、そのためです。
昨今は、そういう外面的な帰属意識の醸成が通用しなくなっています。さまざまな価値観の多様化が進み、なかなか集団としてのアイデンティティも見つけにくい状況です。働き方改革や非正規雇用などで、会社に対しても、地域社会に対しても帰属意識が希薄化している時代です。半面、趣味の同好会などはとても盛んですし、サッカーや野球などスポーツの世界大会の場面では、「日の丸」ジャパンを中心に知らない者同士でも一挙に「帰属意識」を共有することもあります。
人間集団が出来て、目標を作り、それに向かって進んでいくことは、人間のDNAに染み付いた行動様式ですが、とても壊れやすいものです。
特に会社のような利益中心の人間集団が、素敵な未来に進むためには、一組織の崩壊を防ぎ、個々人の帰属意識を高め、一つの集団を発展させながら、さらに他の集団と協調して大きくなっていくことも必要です。
それはいずれより大きな社会の一員として、社会貢献し、人々の幸福の増進に寄与することになると思います。

先日のブログでアメリカ大統領選挙の話をしましたが、目標に対する責任を強調するトランプ氏の政策は、国家という組織を分断する懸念があると言われます。ですから「Make America Great Again」というスローガンで帰属意識を高めようとしているのでしょう。一方で、協調路線のヘイリー氏では、国家組織の維持が目標になってしまい、アメリカという国の目標が分からなくなるという話につながります。現在のバイデン大統領の政策は、個々人の利害調整の決断が甘く無責任だと言われ、国家組織の維持とのバランス調整が難しいことが表に出てきていて批判されていると思います。なかなか難しい問題ですね。

昨日は趣味の仲間だけのなんでもない食事会でしたが、その中で、帰属意識を共有することが、いかに心地よいのかを味わって、こんな話になりました。
ます。