株式会社ヒューマントラスト

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~「はじめまして」の自己紹介~

相手の話を聞く時間も考慮する

はじめまして、統括の三坂です。
本日からブログを始めるという遅咲きのブロガーですが、よろしくお願いいたします。
はじめということで、今回は「はじめまして」ということについて思うことを少し。
もうすぐ春が来ます。日本では4月からいろんなことが始まりますので、様々な場面で、「はじめまして」の挨拶が交わされます。それぞれが新しい学校や職場で、自己紹介をすることも多いことでしょう。
最初の出会いを上手にスタートさせるために、また、これからの自分の環境を過ごしやすくするために、最初の挨拶はとても大切です。
特に新社会人や転職などの新人にとっては、自分の生活、人生を左右する可能性もあります。
この大切な場面、それぞれの場面も異なるし、人それぞれ得手不得手もあり、なかなか一概に「これがいい、こうしてはダメ」というのは難しいと思います。
面接などのノウハウ本はありますが、挨拶には本にできるようなノウハウはないと思います。
いままで、さまざまな場面で自己紹介したりされたりしてきましたが、すべてが人間関係のスタートだということです。いままでの自分を理解してもらい、これからの自分とお付き合い願うことが、よい人間関係を築いていくことになるでしょう。
ここでちょっと注意することがあります。「はじめまして」の挨拶で自分を表現するときに、自分の全てを即座に表現することはできませんし、その必要もないということです。自己紹介の長い人がいます。いままでの自分の自慢話や苦労話が多い人がいます。一生懸命は分かりますが、聞く人にとってはちょっと困りものです。実は「はじめまして」の後に、相手方にも、あなたに話したいことがあるのです。それは、相手の自己紹介かもしれません、これからの仕事の説明かもしれません、ひょっとしたらあなたへの質問かもしれません。
「はじめまして」の自己紹介は、相手の話を聞く時間も考慮しておくことがいいと思います。そのことで、相手も余裕をもってあなたの自己紹介「はじめまして」を聞くことができますし、いわゆる会話につながっていきます。
緊張して早口になったり、言葉が出なかったり、逆に余裕で普段通りの話し方のできる人もいます。「はじめまして」の自己紹介はその人の性格も出てきますので、それはそのままでいいと思います。
そういう自分を表現する場面で、「相手の話を聞く時間も考慮する」という心掛けを持ってみてください。

協調性

ここまで「はじめまして」の自己紹介の心構えについてお話ししました。私の「はじめまして」失敗談を少しお話したいと思います。
実は、私は自分では気付いていないときもあるのですが、自分の話をしすぎる傾向があると自戒しています。これは、私の子供の時の経験に由来するのでないかと思っています。
私は5歳の時に、父親の転勤で横浜から西宮に引っ越しました。バリバリの関西弁の地域ですので、横浜で育った5歳の私は、さっそくいじめの対象になります。なにせ、関西弁がしゃべれないのですから、周りの子供たちからすれば、異星人です。私としても言葉が半分以上分からないので、子供ながら厳しかったと今でも記憶しています。
小学校の低学年などは遠慮も何もありませんから、露骨に「何ゆうてんねん?ちゃんと話してみい?あほかこいつ?」マシンガンのような情け容赦ない悪口の嵐です。
こんな状況で「はじめまして」もくそもありません。言葉も通じない相手に自分をわかってもらわなければ、学校にいられないと思いました。
では、どうすればいいのか?言葉で負けるので、最初は体力勝負の大喧嘩になりました。掃除用のホウキで相手をなぐって泣かしてしまい、逆に先生に叱られて母親と相手の家に謝りに行かされたこともありました。次は、話が通じないから、何を言われてもダンマリを決め込むことにしました。このすべてが、事態を悪い方に悪い方に向けていきます。
そんな中で、クラスで科目ごとのリーダーを選ぶことになり、先生から国語のリーダーに推薦されます。これは、なるほどです。国語の教科書は関西弁ではないのです。国語の時間の発表などは私からすることになり、次第に私の話を聞いてもらえる環境が生まれてきたのです。(この時の先生はなかなかの知恵者だなぁと思います。)
ここで、ようやく私の話ができるようになりました。それまで我慢していたので、思いつくだけの話をしました。そうしないと仲間外れになる恐怖心から必死でした。この経験で、私は「自分の話はできるだけするべきだ」と思ったのです。テレビを見ているうちに関西弁にも慣れて自分でも喋れるようになってきて、やっと学校が楽しく感じられるようになりました。ここまで、約3年かかりました。小学校3年生でやっと環境に入ることができたのでした。
こんなことは、今ではここまで露骨ではないでしょうが、最初の出だしで失敗するとリカバリーにはかなりのエネルギーが必要なのは同じでしょう。表面的にはそんな素振りはしていなくても、内心で苦しんでいる人もいるかと思います。

こうして幼少時の体験で、どちらかというと自己主張の強い子供に育ちました。まずは「自分の話を先にすることが自分の立場を優位にする」という思いで中学生になります。
この中学校は中高一貫の地域でも有名な進学校であったので、自己主張の強い子供が集まっています。それぞれみんな、小学校時代はクラストップ、学年トップのような子どもばかりですから、最初はかなりやかましい雰囲気でした。
この中で、自分の立ち位置を見つけなくてはいけない状況になるのです。でも面白いものですが、中学生にもなりそれなりの社会性を身に着けつつある生徒たちの中から、集団の秩序を整える行動を取る生徒が出てきます。自己主張だけでは、物事が決まらないし、集団としての行動も取れない、ということに気が付くのです。(最近の学校では、この点での機能不全があるので、学級崩壊などにつながるのではないかと思います。)
全体的に自分の意見も控えめになり、自己主張の強い子供は、浮いた存在になります。日本的な言い方で、「協調性」というのでしょうか、私自身もその協調性の波にのるように居心地の良い学校生活を模索していました。
幸いなことに、いくつかの摩擦を乗り越えて、私は上手に(それがいいか悪いか分かりませんが)学校生活を楽しみました。
私の通った中高一貫の進学校というのは、すべての生徒に共通の目的があり、その達成のために生徒全員が同じ価値観を共有しています。要するに「受験競争に勝つ」という共通目的が、この学校の「協調性」を作っているのです。
目的に合致しない行動、自己主張は否定されやすく、そういう環境に慣れない生徒は学校を辞めていきました。こうしたある種の特殊環境の中で、私が小学校時代に考えた「自分の話をできるだけする」というポリシーは一旦封印され、その上に「協調性」という化粧がなされることになったのです。
そんな歪な成長をした自分が、大学生になり東京で一人暮らしを始めると、この自己主張と協調性の調整の中で、新しい別の価値観、刺激に出会うことになります。
生来、自己主張の強い私は、その中でいろんなことを感じるのですが、新しいキーワードは「責任感」です。
この話は次回にしましょう。