公開日:2025.12.10
更新日:2025.12.10
統合報告書はなぜ必要か?ESG経営と機関投資家が重視する「価値創造ストーリー」
企業情報の開示資料として、近年急速に存在感を高めているのが「統合報告書(Integrated Report)」です。
上場企業や大企業を中心に発行数が増加していますが、なぜ従来の「決算書」や「アニュアルレポート」だけでは不十分とされるようになったのでしょうか。その背景には、世界的な投資基準の変化と、企業評価の新たな物差しである「ESG経営」の浸透があります。
また、昨今の日本市場においては、東証による「資本コストや株価を意識した経営」の要請を受け、PBR(株価純資産倍率)1倍割れの解消策としても、非財務情報の開示が注目されています。
本記事では、統合報告書が求められる根本的な理由と、投資家が最も注目している「価値創造ストーリー」の構築方法について解説します。
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この記事の要約
- 統合報告書は「過去の財務」と「未来の非財務」をつなぐ重要資料
- 機関投資家はESGや人的資本など「見えない資産」を重視している
- 中小企業もこの視点を持つことで、銀行融資や信用力向上に繋がる
財務情報と非財務情報の「統合」が意味するもの
結論:財務(過去の結果)と非財務(将来の種まき)の因果関係を示し、企業の持続的な成長可能性を証明するために統合が必要です。
統合報告書とは、その名の通り「財務情報」と「非財務情報」を統合し、包括的な成長プランを開示する資料です。しかし、単に2つの資料を1冊にまとめた(結合した)ものではありません。両者がどのように影響し合い、企業の成長を支えているのかという「因果関係」を示すことが本質です。
「見えない資産」が企業価値を決定づける時代
まず、2つの情報の定義を整理しましょう。
- 財務情報:貸借対照表や損益計算書など、過去の実績を示す「数値」のデータ。売上高、利益率、キャッシュフローなどが該当します。
- 非財務情報:企業理念、経営戦略、知的財産、人的資本、ESG(環境・社会・ガバナンス)への取り組みなど、「数値化しにくい」資産や活動。
かつての企業経営において、企業価値とはすなわち「利益(利潤追求)」であり、保有する工場や設備といった有形資産が競争力の源泉でした。
しかし、デジタル化が進んだ現代において、ビジネス環境は激変しました。S&P500企業の市場価値の内訳を見ると、今や企業価値の多くを占めるのは、ブランド力、特許、データ、人材のノウハウといった「無形資産(非財務情報)」です。財務諸表に載らない「見えない資産」こそが、将来のキャッシュフローを生み出す源泉となっているのです。
持続可能性を測る唯一のツール
単年度の利益だけでは、企業の持続可能性(サステナビリティ)を測ることはできません。例えば、今は利益が出ていても、従業員を過酷に働かせている企業や、環境汚染を垂れ流している企業は、将来的に訴訟リスクやブランド毀損のリスクを抱えることになります。
「この会社は10年後も社会に必要とされているか?」「将来の収益を生むための種まき(人的投資や環境対応)ができているか?」
こうした投資家の問いに対し、過去の結果である「財務」と、未来への原因となる「非財務」の両面から答えを示し、時間軸をつなぐ役割を果たすのが統合報告書です。
「PRI(責任投資原則)」が変えた世界の投資ルール
結論:世界の投資マネーが「短期的な利益」から「ESGを含む長期的な成長」へシフトしており、資金調達には非財務情報の開示が不可欠になりました。
統合報告書の普及を後押しした最大の要因は、2006年に国連が提唱した「責任投資原則(PRI:Principles for Responsible Investment)」です。
PRIは、機関投資家に対し、投資分析や意思決定のプロセスにESG(環境・社会・ガバナンス)の視点を組み込むことを求めています。「企業が長期的な価値を創出するためには、持続可能な国際金融システムが必要である」という考え方が根底にあります。
「ショートターミズム」からの脱却
PRIの登場により、投資家の行動原理は大きく変わりました。
- 従来の投資:短期的な「利益至上主義・株主至上主義」に基づく評価。四半期ごとの業績に一喜一憂するショートターミズム(短期志向)。
- これからの投資:ESG経営を実践し、社会課題の解決を通じて成長できる企業への「長期的な投資」。持続的な成長を重視するロングターミズム(長期志向)。
世界中の年金基金や運用会社がPRIに署名しており、その運用資産総額は100兆ドルを超えています。つまり、ESGを無視する企業は、世界のマネーから相手にされなくなる(ダイベストメント:投資引き揚げ)リスクがあるのです。
日本におけるコーポレートガバナンス・コードの影響
日本国内においても、金融庁と東京証券取引所が策定した「コーポレートガバナンス・コード」により、上場企業に対してサステナビリティ課題への対応や、人的資本情報の開示が実質的に義務付けられました。
企業がPRIに賛同する投資家から資金を呼び込むためには、自社がいかにESG経営を実践し、中長期的なリスク(環境規制や人権問題など)に対応しているかを説明する必要があります。そのための最適な対話ツールこそが、統合報告書なのです。
投資家が見ているのは「価値創造ストーリー」
結論:単なるデータ羅列ではなく、自社の強み(資本)がいかにして社会課題を解決し、将来のキャッシュフローを生むかという「論理的な物語」が重視されます。
統合報告書の核心部分は「価値創造ストーリー」です。多くの企業がここで悩みますが、これは「自社がどうやって飯を食っているか、そしてこれからも食っていけるか」を論理的に説明することに他なりません。
具体的には、「自社の企業理念(Purpose)に基づき、どのような強み(資本)を活かし、どのようなビジネスモデルで事業を行い、社会にどのような価値を提供し、その結果としてどう利益を生み出すのか」という一連の流れを、一貫性のあるストーリーとして語る必要があります。
IIRCフレームワークと「6つの資本」
国際統合報告評議会(IIRC)のフレームワークでは、企業がビジネスに投入する経営資源(インプット)を以下の「6つの資本」に分類しています。
- 財務資本:資金、株式、債券など。
- 製造資本:建物、設備、インフラなど。
- 知的資本:特許、ブランド、著作権、データ、システムなど。
- 人的資本:従業員のスキル、経験、モチベーション、ダイバーシティなど。
- 社会・関係資本:顧客、取引先、地域社会との信頼関係、評判など。
- 自然資本:水、土地、エネルギー、鉱物資源など。
- 財務資本資金、株式、含み益
- 製造資本設備、建物、インフラ
- 知的資本特許、ブランド、ノウハウ
- 人的資本スキル、意欲、経験
- 社会・関係資本顧客の信頼、評判、地域連携
- 自然資本水、エネルギー、原材料
自社にとって重要な資本は何で、それをビジネスモデル(事業活動)を通じてどのように増幅させ、財務的な価値(利益)と非財務的な価値(社会的インパクト)に変換しているのか。この変換プロセスを図式化したものが、いわゆる「オクトパスモデル」や「価値創造プロセス図」と呼ばれるものです。
投資家は、特に「人的資本(人への投資)」と「知的資本(イノベーション)」が、どのように将来のキャッシュフローにつながるのかを注視しています。
「アウトプット」と「アウトカム」の違い
価値創造ストーリーを描く際、混同しやすいのが「アウトプット」と「アウトカム」です。
- アウトプット(結果):事業活動の直接的な結果。
(例:エコカーを年間1万台販売した、研修を100時間実施した) - アウトカム(成果):アウトプットによってもたらされた、社会や環境への影響・変化。
(例:地域のCO2排出量が5%削減された、従業員の定着率が向上し新製品開発スピードが上がった)
優れた統合報告書は、単に「何をどれだけやったか(アウトプット)」だけでなく、「その結果、世の中や自社がどう良くなったのか(アウトカム)」まで踏み込んで記述されています。投資家が知りたいのは、製品の販売数そのものではなく、それによって築かれたブランド価値や、解決された社会課題の大きさだからです。
マテリアリティ(重要課題)とKPIの連動
ストーリーの説得力を高めるためには、定性的な説明だけでなく、具体的なKPI(重要業績評価指標)の設定が不可欠です。ここで重要になるのが「マテリアリティ(重要課題)」の特定です。
SDGsの17目標すべてに取り組むことは不可能です。自社のビジネスにとってリスクであり、同時にチャンスでもある「優先すべき課題」を絞り込み、それをマテリアリティとして設定します。
例えば、「気候変動」をマテリアリティとするならば、単に「環境に配慮する」という方針だけでなく、「2030年までにCO2排出量を〇%削減する(Scope1,2,3)」といった数値目標(非財務情報の定量化)を掲げ、その進捗を開示します。これにより、投資家は企業の「本気度」と「実行力」を評価することが可能になります。
まとめ:あらゆるステークホルダーとの対話のために
現在、日本では統合報告書の発行は法的な義務ではありません。しかし、宝印刷D&IR研究所の調査等によれば、発行企業数は年々増加の一途をたどっています。
これは、統合報告書が単なる投資家向け資料を超え、従業員、取引先、地域社会、そして地球環境といった「すべてのステークホルダー」に対して、企業の存在意義を証明するためのパスポートとなっているからです。
中小企業においても、この考え方は有効です。金融機関への融資交渉や、補助金の申請、あるいは経営計画書の策定において、「財務」と「非財務」を統合した視点を持つことは、企業の信用力(与信)を高める強力な武器となります。
ESG経営・非財務情報の開示で
資金調達を有利に
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