株式会社ヒューマントラスト

株式会社ヒューマントラスト

~「自由時間」と「責任感」~

責任感

大学生になり東京で一人暮らしが始まると、毎日、無限大の自由時間がそこに現れました。進学校のようなプレッシャーもなくなり、何をしても自由、授業に出たくなければそれもOK、バイトも部活も適当、なんとなく目的が希薄になり、毎日をだらだらと過ごしていくようになってしまいがちです。タガが緩むとはこのことでしょう。
ただ、どんな人でも、こんな生活が長く続くものではありません。(退屈と不健康で心身が病んできます。)大学生になって、社会との接点が高校までよりも格段に増えてきますので(実際に20歳になり、成人扱いです。)、必然的に「仕事」という概念が身についてきます。
ここで話す「仕事」というのは、「収入を得る」ためのものだけではありません。収入につながらなくても、好きで始めたスポーツや趣味、ボランティア、社会貢献、そう言ったものも、ある意味では「すること=仕事」と考えます。人間がこうした仕事をするときは、常にその成功を目的として、外部的には場所、道具、人間関係、資金が必須で、それを活用するためには、自らのポジション(立場)を確保する必要があります。
例えば、野球などを考えると分かりやすいですが、まずは、野球をする場所があって、道具が用意され、それぞれが個々人の特徴に合わせてポジションを決め、その立場での仕事を全うすることが、「仕事」の成功につながります。
では次に、外部的に仕事の条件が整えられて、仕事が始まったとして、それに参加しようとする個々人には、何が必要でしょうか?外部的な条件は揃っているので、あとは、各人の内面的な意欲ではないでしょうか?これが、「責任感」と言われるものだと思います。

私が、こんなことを考えたのは、ある事件があったからです。
大学生になったばかりの私の周囲には、先に話したようにタガの外れた学生が、退屈で不健康な生活を過ごしていました。毎日何をしているのか分かりませんが、なんでも結構適当で本当に時間をつぶしている連中で、私もその仲間になりかかっていました。
ところが、あるときこの中で「サークルを作ろう、女の子を集めて楽しいサークルにしよう」(私の周囲には男子ばかりでした(泣)。)、と言い出すものが現れます、その時、私は、始めたばかりのテニスとアルバイトに夢中になっていて、その仲間たちとの距離が離れつつありましたが、サークル作りに関心が湧いて、結局この連中とサークル作りを始めたのです。
ところがいざサークル作りの相談を始めてみても、「何をするのか?」「メンバーはどうするのか?」こんな簡単なこともなかなか決まりません。というのは、何かの案を出すと、いわゆる言い出しっぺになり、自分がやらなくてはいけなくなる、という恐れをみんなが感じていたからです。要するに、誰かが作ったものに上手く乗って、楽しんでやろうという魂胆です。誰も「責任」を負いたくないので、何も決まらないのです。皆さんにもこんな経験があるのではないかと思います。
では、結局、このサークル企画はどうなったでしょうか?
実は、私の予備校時代から信頼する親友が、「テニスとスポーツをテーマにしてサークルを作ろう」と提案し、そのまま決定。かれが責任者として女子大と組んでしまい、とうとうサークル活動が始まります。私は、彼が責任者になったので、副代表として彼を助けることになりました。メンバーは、あっという間に男子15名、女子20名(なんと女子が多くなりました。)に増え、テニスは私がコーチ役を務め、飲み会や遊びのイベントはノリのいい奴が仕切る形になりました。主要メンバーそれぞれのポジションを決め、多くの無責任メンバーを引きずって、このサークルはスタートしました。
テニスというテーマが入っていたために女子が増えたのですが、実際のテニス経験者は私一人。高校球児だった代表の親友を即席でコーチ役に仕立て、テニスは始まりました。コートの確保や出欠確認、当日の会費の徴収から道具の準備などなど、テニスだけでも大変な作業量になります。主要メンバー4~5人で分担してなんとか2時間のテニス練習を行います。最初は月に2回で頑張っていましたが、3カ月ほど経ってくると、息切れしてきます。コート確保も厳しく、会費などのお金の管理も杜撰になってきます。テニス以外でも、バースデーパーティー企画や少人数の飲み会など、あれこれ動きはじめ、主要メンバーの負担だけがどんどん大きくなりました。そもそもどちらかというと真面目な主要メンバーは、講義出席やバイトもキチンとする性格だったものですから、無責任メンバーとの意識の乖離が生じます。このあたりから、主要メンバーが一人また一人と退会していき、半年も経たないうちに、サークル内部での喧嘩が発生します。本当に拙い会運営の結果、このサークルは結成して1年ももたずに自然消滅することになりました。
結果として、仲間うちで無用な確執を生んでしまい、その後の大学生活につまらないわだかまりを生じることになります。

協調

この話は、実は会社組織になぞらえることができると思います。生産性の著しく低下する組織、機能不全に陥る組織、努力の報われない組織の顛末に似ています。私が最初に就職した銀行の人事部でこんな話を聞いたことがあります。「全体の5%くらいの人間が、残りの95%の生活を支えている。」要するに、組織の全員が組織の主要目的(会社の場合は収益になります)に寄与できるわけではなく、ごく一部の人間が組織維持のための収益をはじき出しているという話です。
各メンバーの能力や仕事に対する意識に組織運営は関わってきますが、人事部のこの話は組織運営を任される人間は意識しておいた方がいいと感じます。
サークルの例でいえば、
1)最初に決めたテーマ(テニスなど)が持続困難であったこと
2)サークル内の仕事に関して主要メンバーと他のメンバーの中での目的意識に大きな隔たりがあったこと
3)サークルの仕事に対して主要メンバーであっても、私も含め「責任感」が欠如していたこと
などがサークル瓦解の原因だったと思われます。

会社での「仕事」、社会人としての「仕事」は、間違いなく自分や家族、仲間の生活を支える収益を大きな目的としています。それは、個々人の生存権に直結する話なので、「仕事」は真剣勝負になり、組織のメンバーは一定の「責任感」をもって「仕事」に当たらなければなりません。このレベルになると、組織内では、高校生までの世渡りで重要であった「協調性」はある時は邪魔になることすらあると思います。社会の組織は簡単に瓦解するわけにはいかないので、それを「協調」という概念でまとめるには無理があります。目的が達成されないのに協調もへったくれもありませんよね。組織メンバーの各人の能力や意識レベルに差異があり、組織メンバーの5%が、残りの95%を支えるという目的を考えれば、協調しても収益という重要な目的が達成できなくなれば、それがもとで組織や会社がダメになる危険性が高まるからです。
会社経営の社会的現実の中では、組織メンバー各員の「協調」と「責任感」を融合し、組織による収益確保という目的を達成することが重要になってくると思います。

では、次のブログでは、この「協調」と「責任感」をつなぐ「帰属意識」についてお話したいと思います。